国際法学会エキスパート・コメントNo.2020-9
越智 萌(立命館大学国際関係学部准教授)
脱稿日:2020年6月3日
1.はじめに
日産自動車の前会長であり、金融商品取引法違反等について東京地検特捜部に逮捕・起訴されていたカルロス・ゴーン氏は、保釈中の2019年12月に日本から密出国により父の母国であり国籍国であるレバノンに逃亡しました。日本国内での裁判を行う要請が高まる中、レバノンに逃亡してしまったゴーン氏の刑事責任追及は難しいとの報道が多く見られています(2020年5月30日現在)。この問題を国際法的な観点から議論すると、様々な法制度の利用可能性が見えてきます。そこでこのコメントでは、ゴーン氏の刑事責任を追及する場合に利用される可能性のある国際法制度(と関連する国内法制度)をひとつずつ見ていき、既存の諸制度が利用される場合の課題を整理していきたいと思います。
2.レバノンからの引渡し
まず、王道な方法として、レバノンの警察にゴーン氏を拘束してもらい、その身柄を飛行機に乗せて日本に送ってもらうことはできるでしょうか。このような手続を、「(犯罪人)引渡し」といいます。ゴーン氏の日本への引渡しが困難な理由として、各種メディアでは、日本とレバノンの間で犯罪人引渡条約が締結されていないことがあげられることが多いですが、条約は引渡しの絶対条件ではありません。本件について、引渡しを可能とする法的な条件とは何でしょうか。
引渡し(extradition)とは、ラテン語の「extradere(ある者を、その者の主権者に強制的に返すこと)」を語源としています[i]。記録される最古の引渡請求は古代イスラエルにおける集団強姦の事案についてのものであるといわれており[ii]、容疑者の引渡しが拒否されたため部族間での戦争になったとされています(旧約聖書士師記19-20章)。昔から変わらない基本的な原則として、主権者が統治している領域の中では、他の主権者は勝手に捜査・逮捕活動を行わないこと、そして、引渡しをするかどうかは、引渡しを求められている者が所在する土地の主権者の決定事項だということがいえます。引渡しは、二国間での礼譲や、相互主義に基づいて行われてきました。そしてまた、引渡しの強制も試みられてきました。現代国際法では、戦争は原則禁止であるので、引渡しの強制には、法的な制度と手段が必要です。
引渡しを義務付ける法的制度として、引渡条約があります。引渡条約は、二国間で結ばれるものと、地域内で結ばれるものがあります[iii]。米国は100か国以上と二国間条約を締結していますが、日本は米国と韓国の2か国とのみ締結しています。引渡条約を結べば、自国に引き渡してもらうことが確保される一方で、自国も条約の相手国に引渡しを約束しなければなりません。
日本にとって引渡条約が2か国との間にしかないことは、必ずしもこれら2か国との間でしか引渡しができないことを意味するものではありません。引渡しには、条約前置主義と非前置主義があります。米国は、引渡手続の対象となる人に引渡しの制度を明確にするため、条約がない国には引き渡さないという条約前置主義をとっています。他方、日本は、自国の国内法の逃亡犯罪人引渡法にしたがって、他国から請求がある場合、一定の条件が満たされれば、人を他国に引き渡すことができるという、条約の非前置主義をとっています。レバノンも、条約非前置主義をとっています[iv]。そのため、レバノンが日本との友好な関係を望んで、礼譲や相互主義に基づいて引渡しをすることは、条約がなくとも可能と思われます。
しかし、レバノンからのゴーン氏の引渡しを妨げる別の法的な制度があります。それは、自国民不引渡制度です。自国民不引渡は古代ギリシャ時代にもさかのぼるといわれ、自国民を自国の法的保護外へ放逐するようなことはしてはならないと考えられてきました[v]。近年では、その人が慣れ親しんだ国の制度で裁判されるべきといった、人権保護的な考慮を根拠にする考え方もあります[vi]。一般的には、ドイツやフランスといった大陸法系の国は自国民不引渡の立場をとっています。一方で、イギリスやアメリカといった英米法系の国では、犯罪地での裁判を原則とする考え方から、自国民不引渡制度を採用していません。このように、国によって制度の差があるので、自国民不引渡は慣習国際法とはなっていないというのが通説です[vii]。
レバノンは、フランス法に影響を受けた大陸法的な制度をとる国であり、自国民不引渡原則を採用している国です(レバノン刑法30条)[viii]。ゴーン氏は、レバノンとブラジルとフランスの多重国籍ですが、レバノンからの引渡しには、自国民不引渡が問題となります。ただし、「拘束力ある条約に基づく場合」は、自国民不引渡の例外となります(同)[ix]。日本とレバノンの間で、自国民の引渡しを可能とする引渡条約が結べれば、レバノン国民であっても、日本に引き渡すことができるようになる可能性があります。
このように、ゴーン氏をレバノンから直接引渡してもらうには、自国民不引渡に関するレバノンの国内法上の制約に関する理由で、その例外を設定するための日本とレバノン間での引渡条約締結が必要と思われます。
3.直接の引渡し以外
では、引渡し以外の方法はあるでしょうか。国際刑事警察機構(インターポール)の利用、ゴーン氏渡航先からの引渡し、他国での処罰といった、報道などで指摘されている方法や、やや未来的に思えるサイバー法廷のアイデアまで、ひとつずつ見ていきましょう。
インターポールは、各国の警察間の情報交換の場として機能する機構で、各国に置かれた国家中央事務局(NBC)(日本は、警察庁)を通じて、他国の警察と連絡をとれるシステムを構築しています。よく、『ルパンⅢ世』の「銭形警部」のような「国際捜査官」は存在しないと書かれたりしますが、近年では、捜査する国の許可を得て、その国の警察機関と合同捜査をしたり、大規模な犯罪についてはインシデント対応チーム(IRT)が自ら捜査するなど、積極的な動きも見られます[x]。
2020年1月2日、インターポールにより国際手配書(赤手配書)が発行され、ゴーン氏は国際手配の状態となりました。赤手配書は、インターポール加盟国がインターポールを通じて世界中の法執行機関に対して特定の人の所在確認と仮逮捕を要請するもので、国内法でいう個人に対して発付される逮捕状とは異なります[xi]。赤手配書の制度は、インターポール加盟国間での円滑な情報交換・捜査協力に資するためのものであり、インターポールの活動に協力することは、将来的に自国にとって必要な情報や協力を得るために望ましいことです。しかし、インターポールは加盟国に対して、協力に関する法的義務を負わせるものではありません。そのため、レバノンがこの赤手配書に応じて何らかの措置をとらなければならないわけではありません。ただ、報道では、レバノンが赤手配書に応じ、ゴーン氏を事情聴取し、日本からの捜査資料の提供まで出国禁止措置をとったとされています[xii]。そのため、本件に関しては、インターポールの制度が利用可能であり、かつ一定の利用価値もあったということができるでしょう。
出国禁止措置が解除され、ゴーン氏が他国に移動した場合にはどうなるでしょうか。フランスやブラジルといったゴーン氏の国籍国は、レバノンと同様自国民不引渡をとっており(フランス刑事訴訟法696条の2、ブラジル移民法82条)、また日本との引渡条約もありませんので、これらの国からの引渡しは法的には不可能と思われます。他方、これら以外の国については、自国民不引渡の問題が生じないため、例えば米国や韓国といった日本と引渡条約を締結している国をゴーン氏が訪問した場合で、日本がこれらの国に引渡要請を行えば、その他の引渡拒否事由に当たらない限りにおいて、ゴーン氏の身柄を日本に引き渡す義務が、ゴーン氏所在国に生じるといえます。
また、ゴーン氏所在国において、裁判を代わりに行ってもらうことも可能かもしれません[xiii]。ただし、レバノンについては、日本が今回起訴の対象とした金融商品取引法違反や会社法違反(特別背任)に対応する国内法上の罪が、積極的属人主義(容疑者が自国民)や保護主義(自国の重大な利益の侵害)に基づいて本件に適用可能かどうかといったレバノン国内法上の要件を満たす必要がありますが、通常、積極的属人主義や保護主義に基づいた国外犯の処罰は、重大な犯罪に限られています[xiv]。また、ゴーン氏国籍国であるブラジルでは、日本で罪を犯し逃げ帰ったブラジル人容疑者に対して、日本政府からの要請に基づいた裁判を行った実績があり、本件についても当局が処罰に意欲を見せたとの報道がありますが[xv]、レバノンの場合と同様の国内法上の問題が残っています[xvi]。
もし、レバノンやブラジルで裁判が実現したとして、そのあと、日本で服役させることはできるでしょうか。これを、受刑者移送といいます。レバノンのセルハン暫定法相は、被告人がレバノンの裁判で有罪となった場合として「検察が特別な状況があると判断すれば、(身柄引渡しの)可能性はあり得る」と語っています[xvii]。日本については、ブラジルとの間で受刑者移送条約を結んでいますが、この条約の対象は、外国で有罪となった日本人か、日本で有罪となった外国人にのみ適用されるため(日伯受刑者移送条約3条1項(a)、国際受刑者移送法1条)、ゴーン氏が仮にブラジルで有罪判決を受けたとしても、日本で服役させることについては、当該条約は直接利用できません。また、レバノンとの間にはこのような条約はありません[xviii]。
最後に、本人が出廷しないまま日本で裁判を続行することは可能でしょうか。日本法では、基本的には、被告人が公判期日に出頭しないときは開廷することはできません(刑事訴訟法286条)[xix]。しかし、世界では、リモートワークが盛んな今日、サイバー法廷の実用化の議論も盛んになっています。中国では近年すでに実用化されており、ネット関連犯罪について、オンライン会議を利用して「公判」が実施されています[xx]。最近では、新型コロナウイルスによる都市封鎖下のシンガポールにおいて、ビデオ会議アプリ「ズーム」を通じた遠隔での死刑宣告といった事例も見られるようになりました[xxi]。本人が出廷できることは、基本的人権として重要ではありますが(自由権規約14条3項等)、これを物理的な出廷というよりも、直接防御することができる防御権の保護として理解すれば、防御の行使が十分に可能であることが確保される限りにおいて[xxii]、リモートでの裁判の可能性も模索していく時代にあるようにも思われます[xxiii]。
4.おわりに
本コメントでは、ゴーン氏の刑事責任を追及する場合に利用される可能性のある国際法制度(と関連する国内法制度)について検討してきました。レバノンからの引渡しには、自国民不引渡制度に関するレバノン国内法上の事情により、日本とレバノンの間での引渡条約締結が必要と思われます。また、その他の制度の利用について、まず、インターポールを通じた赤手配書は、レバノンに捜査協力を強制するものではありませんが、一定の利用可能性があるといえます。次に、ゴーン氏渡航先の他国からの引渡しについては、ゴーン氏国籍国については自国民不引渡が問題となりますが、その他の国からは引渡しが行われ得るといえるでしょう。さらに、他国による処罰については、本件で問題となっている罪が当該国の国内法において属人主義や保護主義の対象となっているかが問題となると思われます。サイバー法廷については、日本の法制度上は今のところ不可能と思われますが、国際的な実行の増加に伴い、将来的に検討される可能性もあるでしょう。
これらの課題に加えて、今回のゴーン氏の事件では、このコメントでは触れませんでしたが、日本におけるいわゆる「人質司法」の問題が背景にあり、フランスのマクロン大統領や米国務省、国際人権NGO団体のヒューマン・ライツ・ウォッチなどから、日本における長期勾留と取調べの態様などについて批判がなされています[xxiv]。国際的(地域的)人権条約制度においては、犯罪人引渡や退去強制、送還などに際し、送還先での待遇・取扱いを考慮しなければならないという法理が蓄積されてきていることもあり[xxv]、日本への身柄送還は国際人権基準の順守との関係でも注目されています。
あらゆる犯罪の容疑者の引渡しを国に一般的に義務付ける国際法規則はありません。そのため、引き渡すかどうかは、国の裁量でケースバイケースに判断されることが多いとされています[xxvi]。また、制度上引渡しとは呼ばないものの、国外追放にして追放先を引渡請求国とするといったような実質的な引渡しを行うこともあり得ます。他国に逃亡した容疑者の身柄確保は、このように、高度な政治性を有しつつも、国際法上の多くの問題と関係しています。グローバルな世界における現代の実務においては、これらのことを踏まえつつ、上記で示した様々な法制度を理解した上で合法的な方策をとり、「実質的な正義」が「どこかの国の」法執行機関によって「なんらかのかたち」で追及されることが求められるでしょう。
[i] M. Cherif Bassiouni, International Extradition: United States Law and Practice (Oxford University Press, 2005), p. 3.
[iii] 普遍的な引渡条約というのは今のところありません。国連組織犯罪防止条約やハイジャック防止条約のように、特定の犯罪について各国の協力を定める条約も増えてきましたが、このような条約が設定する引渡制度は、直接締約国に引渡義務を課すものではありません。
[iv] レバノン刑法44条。以下、レバノン刑法の条文の英訳については、国連薬物犯罪事務所データベースSHERLOCから。
[v] 森下忠『犯罪人引渡法の理論』(成文堂、1993年)159頁。
[vii] メディア等で「自国民は引渡さないのが国際法上の原則」と紹介されている場合もあります。
[viii] レバノン刑法30条では、「国内法に定めるほか、また拘束力ある条約に基づく場合を除いて、何人も他国に引き渡されない」としています。この「国内法に定めるほか」とは、レバノン刑法31条が、引渡しが許容される場合として、請求国内で犯罪が行われた場合、引き渡されなければ請求国の安全保障および経済的状況に影響する場合、請求国の国民により行われた場合をあげていることを指しています。ただし、レバノン刑法32条は、レバノン法の領域的管轄権、事項的または人的管轄権の範疇にある犯罪は、引渡の対象とならないとしています。また、レバノン刑法20条により、レバノン刑法はすべてのレバノン国民の犯罪に適用されるとされ、これにより、レバノン国民はレバノンの人的管轄の範疇にあるといえるため、32条により引渡対象外となります。
[ix] これは、日本の立場とも一致します。日本の逃亡犯罪人引渡法2条9項では、逃亡犯罪人を引き渡してはならない場合として、「逃亡犯罪人が日本国民であるとき」をあげています。このように、日本自身も、自国民不引渡の立場をとっているといえます。ただし、日本も、引渡条約に基づいて、自国民を引き渡す裁量を認めています(日米引渡条約5条、日韓引渡条約6条)。
[x] INTERPOL response teams. 最近では、映画『グランド・イリュージョン』などで、米国警察と合同捜査するインターポール捜査官の活躍が見られます。
[xi] 赤手配書が出ている人物については、名前や生年月日、顔写真、起訴事由などがインターポールのHPに公開されます。自分に対して赤手配書が出ているかも検索して確認することができます。ほかに、失踪した人物に関する黄色手配書もあります。自分に対して赤手配書が出た場合には、インターポール事件管理委員会(CCF)に情報公開を要請することで、その詳細について知ることができ、再検討を要請することもできます。ゴーン氏も弁護士とこの赤手配書の取り消しを求める準備を進めていることが報道されています。「国際手配取り消し請求へ ICPOにゴーン被告」(日本経済新聞、2020年1月31日)。
[xii] 「ゴーン被告に出国禁止令 日本引き渡し、さらに困難―レバノン当局が聴取」(時事ドットコムニュース、2020年1月9日)。
[xiii] ただし、「代わりに」といっても、実際には当該国にも管轄権がある場合に限られるため、よくいわれる「代理処罰」という表現は正確ではありません。
[xiv] 日本の場合、刑法2、3条に掲げる罪に限定されます。会社法違反(特別背任)については、会社法971条により、国外犯にも適用があります。
[xv] 「ゴーン被告の手配執行は困難 代理処罰で対応可―ブラジル」(時事ドットコムニュース、2020年2月3日)。
[xvi] 実際にレバノンやブラジルで裁判を行うとなった場合には、証拠の提供といった(狭義の)司法共助を日本がレバノンに対して行うことになります(国際捜査共助法)。司法共助に関する条約も多くありますが、日本はレバノンやブラジルとは結んでいません。
[xvii] 「レバノン法相、ゴーン被告引き渡し排除せず 有罪認定が条件」(時事ドットコムニュース、2020年1月10日)。
[xviii] 日本は、受刑者移送に関しては条約前置主義をとっているとされますが(国際受刑者移送法1条)、移送にふさわしい受刑者は条約の有無にかかわらず移送すべきとの見解も見られます。加藤佐千夫「国際受刑者移送法について」『中京法学』第46巻1・2号(2012年)6頁。
[xix] 例外として認められているのは、被告人が法人であるときや、比較的軽い事件の判決宣告以外の期日、心神喪失や退廷を命じられた場合等があります。例えば、刑事訴訟法283条、284条、285条、286条の2、314条、390条、341条、414条、451条等。
[xx] “Chinese ‘cyber-court’ launched for online cases” (BBC, 18 August 2017).
[xxi] 「死刑判決を『ズーム』で言い渡し 都市封鎖のシンガポール」(BBC、2020年5月21日)。
[xxii] 例えば、欧州人権裁判所クロムバッハ対フランス事件判決では、フランスが被告人不在の場合に法廷において弁護人により弁護されることを確保していなかったことにより、欧州人権条約6条違反が認められましたが、欠席裁判自体は、後に新たな裁判を受けることが確保されている限りにおいて、欧州人権条約違反とはならないとされています。ECHR, Krombach v. France, Application No. 29731/96 (13 February 2001), paras. 82-91.
[xxiii] ただし、カメラに映らない場所からの干渉の排除といった、多くの技術的なサポートが必要になります。
[xxiv] 「安倍首相に改善要請『何度も』 ゴーン被告処遇めぐり―仏大統領」(時事ドットコムニュース、2020年1月16日);「ゴーン事件の長期勾留「懸念」 日本の記者渡航妨害も言及―米人権報告書」(時事ドットコムニュース、2020年3月13日); 「日本の『人質司法』批判 ゴーン被告に『巨大圧力』―人権団体」(時事ドットコムニュース、2020年1月15日)。
[xxv] 前田直子「犯罪人引渡における人権基準の発展 : ヴァイス対オーストリア事件(第2)(自由権規約委員会、2012年10月24日)」『京女法学』第4号(2013年)69-82頁。
[xxvi] 竹村仁美「犯罪者は逃げ得?―逃亡犯罪人の引渡し」森川幸一=森肇志=岩月直樹=藤澤巌=北村朋史〔編〕『国際法で世界がわかる――ニュースを読み解く32講』(岩波書店、2016年)135頁。